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都電荒川線

都電荒川線は、三ノ輪橋〜早稲田間12.2kmの路面電車で、発車時に合図するベルの音から「ちんちん電車」と呼ばれ、地域に密着した乗り物として親しまれています。

最盛期の都電は41系統ありましたが、現在では、路線の大部分が専用軌道であること、他に代替交通手段がないこと、沿線住民の強い存続要望などにより、荒川線のみが唯一運行しています。

春になると、荒川二丁目駅付近から荒川七丁目駅にかけて、荒川自然公園沿いの桜並木がトンネルのように車窓間近に迫り、とても優雅な気持ちになれますヨ。
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小塚原回向院 荒川区南千住5−33−13

寛文7年(1667)に両国回向院の別院として創建されました。幕府の二大刑場の一つである浅草の刑場(小塚原刑場)脇にあり、受刑者や牢死者などが葬られてきました。明治初めに小塚原刑場が廃止されるまでの間に、20万人余の罪人が処刑されたそうです。

ねずみ小僧次郎吉らの有名な盗賊や、吉田松陰、橋本佐内ら安政の大獄の犠牲者などの墓が並んでいます。

また、明和8年(1771)に杉田玄白らは、ここでおこなわれた腑分けを見て「解体新書」の翻訳を完成させました。「観臓記念碑」があります。
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延命寺 荒川区南千住2−34−5
1895年(明治28年)に鉄道の敷設により小塚原回向院が分断されたのち、1982年(昭和57年)に延命寺として独立。

高さ約4mの「延命寺地蔵尊」(別名・首切地蔵)が鎮座しているのが目につきます。小塚原刑場の受刑者の菩提を弔うために、1741年(寛保元年)に刑場敷地内に建立されたもので、1895年(明治28年)の鉄道敷設工事のために、南千住貨物線の南から現在地に移されました。
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千住大橋 荒川区千住橋戸町

1594年(文禄2年)に、徳川家康の家臣である架橋奉行・伊奈忠次によって架けられた隅田川最古の橋です。架設当時の橋は「大橋」「小塚原橋」と呼ばれており、長さ66間(約120m)幅4間(約7m)の木製でした。

江戸時代には、東北と江戸を結ぶ要所として大名が多数往来し、俳人松尾芭蕉も、千住で舟を降り立ち、ここから奥の細道紀行へと旅立って行きました。その際、弟子たちとの別れを惜しみ「行く春や 鳥鳴き魚の 目は泪」という句を詠みました。

現在の千住大橋は、昭和47年完成の新橋との二重橋構造で近代橋梁の名作として知られています。ブレーストリブタイドアーチという形式で、この形式では我が国最古の橋になります。
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素盞雄神社 荒川区南千住6−60−1

素盞雄大神(スサノオオオカミ)と飛鳥大神(アスカオオカミ)を御祭神とする、荒川区内で最も広い氏子区域をもつ神社です。例祭である天王祭は、毎年6月第一週の週末に行われます。

境内は、古来より「飛鳥の杜」と呼ばれていましたが、現在は周囲3.3m高さ30mの大銀杏「子育ての銀杏」が残るのみです。母乳の出ない婦人がこの大銀杏の皮を煎じて飲むと乳の出が良くなるという伝承をもつことから、絵馬を奉納祈願する習わしがあります。

松雄芭蕉の「奥の細道」の千住矢立の初めの一節と芭蕉坐像を刻んだ記念碑があり、毎年、芭蕉が旅立った3月下旬に「奥の細道矢立初めの俳句大会」が催されています。
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